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音古痴新 overrising.exblog.jp

音楽中心に


by overrising

ぐーぐーだ   ってねこ   である   を見た   よ

本当は映画館に行きたかったんだけどやっと今頃DVDで見る。

なんかちょっとマーティ ふりードマンによる吉祥寺案内も兼ねてたりして。
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実は長年大島弓子のファンだった。ここしばらく全然活字(マンガ含む)から遠ざかっていて、この話(自伝的なものなので)もどこまで本当で、どこまでフィクションなのかよくわからないけど。見終わって久々に本屋に行って最近っぽい作品を買って来た。あとで読もう。。。。。

私は小さい時、よく大人から「女の子らしくない」とか「女の子はそんなこと言っちゃだめ」とか言われていた。女の子らしくないというのは、多分お人形遊びとか嫌いでプラモデル作ってたりしたことじゃないかな、「そんなこと言っちゃだめ」ってのも別に言葉遣いが特別悪かったわけでもないし、自分ではなんか理不尽なことを言われてる気がして、「女に生まれて損した」という気持ちをずっと持っていた。

ちょっと大げさだけど、大島弓子のマンガを読んで始めて「女に生まれてよかった」と思った。あの当時萩尾望都と大島弓子が二大好き漫画家だったんだけど、萩尾望都の描く話は男が考えてもわかる話だと思うけど(無論私は女なので勝手にそう思うってだけですが)、大島弓子は女じゃないと理解出来ない話だと思う。正確に言うと「毎月生理が来ていや〜な気分を味わう女の子」の話なのだ。生理痛そのものの話もあるけど、そうでなくても女の味わう悲しみやいやな気分がまんま表われていて「そうそう、そうなのよ〜」と思ったものだ。そして彼女のマンガから思うのは、それは「そうはいっても大丈夫だよ、いいことだっていっぱいあるじゃない」という、なんか達観した幸福感があるのだ。

だから大きくなったら人間になる、と信じている子猫が、いつまでたっても人間になれなくて「あれ〜?」と悩みながらも、「でもしょうがないわよね」と笑っていられるのだ。辛いだけだったら人間だって猫だって行きていけやしない。

タイトルからぐーぐーの話なのかと思ったら、これはほとんと死んでしまったサヴァに対するオマージュ作品なのだった。

で、私がどれほど本当に大島弓子のファンだったか、というと、実はいろいろ持っていたのだけど結構なくしたり、汚くなったりしちゃって、でもこれは宝物なの。
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もう靴下とか変色しちゃったけどね、今でもたまに抱き抱きしちゃう。大きいのは限定で当時(相当前)2万くらいした。小さいのは2千円くらいだったかな、スワノさんちのちび猫ちゃん。うちの親はこの猫の耳を見て「あら、この女の子、角が生えてるわよ」と宣った。角ぢゃないし、耳だし。しっぽだってあるし、どう見たって猫だし。ちょっとぐぐったら、最近でもまだ時々作ってるみたいだ、お人形。うちの子とほぼ同じ、でも値段が47,250円。まぁ20年位前(もっと?)だから、価値は倍になるのかぁ。

井之頭公園に行くとたまに「大島弓子が住んでるのってあそこかな?」と思っていたマンションが舞台になっていて(本当に住んでるかどうかは知らないよ)ちょっと「やっぱり〜」と思ったりした。でも井之頭公園に飼い猫放したら、あまりに広くてもう帰って来れない気がしちゃう。行方不明にならずにいろよ>ぐ〜ぐ〜。
by overrising | 2009-07-08 21:30 | 映画